COLLOL『ひらかなくてもよい 〜泉鏡花 作「天守物語」より』   | About | Information | Coments | mail |


キャスト、スタッフ

演劇はカッコよくて可能性にあふれているのだと。
田口とか俺とかは、そう信じてやっとります。
(西沢 栄治/JAM SESSION 演出家)


COLLOLの特徴を言い当てるピンポイントのキャッチコピーはなかなか見つからない。
身体とテキストの試行がもたらすリスクを引き受けて、COLLOLは先端が受ける強い風圧を恐れない。
いくつもの経路から、さまざまな稜線をたどって、見極めがたい頂上へ向かう。
その魅力と可能性に、ふがいないけれどいつの間にか引き寄せられている気がする。
そう、ふがいない快感! ぼくは虜になっていたのだ(笑)。
(北嶋 孝/マガジンワンダーランド編集長)


ポタライブを一度だけ見た田口さんが弟子にしてと言ってきたとき、私は今以上にマイナーだったんで、
なんと審美眼と自信のある人だと感心した。
コロール公演はそんな田口さんがガツガツ収集したお宝を惜しげもなく陳列し「私のキレイです」と見せてくれる会なので、僕はかかさず観ることにしてます。
(岸井 大輔/劇作家)


田口アヤコはまったく才能を書いている。女優でないし劇作家でないし演出家でもない。
しかしよくよく考えたら、バカだのチョンだの言われてるに決まってるのに、
アヤコはバカだのチョンだのであり続けている。それはそれで、悪いことじゃないのじゃないか?
久しぶりに奴の芝居をひっかけてもいいかもしれないと思っている、それでも相変わらずなのなら、悪くない。
田口アヤコは田口アヤコだ。
(西 悟志/演出家)


田口さんは団体を率いて
理想とする舞台上の作品のカタチを模索されています。
ウチの劇場でやった作品は
小屋入りしてからも、
模索を続けていらっしゃいました。
10月公演は初日にバッチリ完成の作品提示されるでしょう。
きっとそうですとも。
(玉山 悟/王子小劇場代表)


女も、男も、かなしくてつらいものです。
心の中の岩みたいなかなしさに気が付かないようにするのが良策ですが、気が付いてしまった人のかたい岩を、砕いて砕いてもっと砕いて、さらさらの砂にする人が田口さんではないかと思います。
(川島 沙紀子/現代美術家)


COLLOLの出演者たちは、みな疲れて見えます。
隠せない日常、生きてきた年齢。田口アヤコの弾くピアノは、たどたどしく聞こえて。
なんだ僕のと変わらないぢゃないか。
まるで鏡のように、現実そのままにそこにいる。自分を見ているようで、いや、とても傍にいる他人に触れているのか。
あまりにリアルに感じる女優達が次第に愛おしくなりながら、いつの間にか。
ああ、気付くと、僕は世界に輝きを取り戻しているのです。
(木室 陽一/舞踊家)


ずらりと割かれたけものの中に入って
膝を抱えて丸くなって
女達は、
浸水してくる物語の夢を見る。

コロールは積み上げる。
箱庭と宝石を、じゅんぐりに。
じいっと見るとそれは
静寂の後の、生暖かい雨
落雷の後の、膨らむ蕾。
それらの音は一つずつ結われて、う、た、のような
言葉とひかりと色と温度が混ぜこぜの極彩色。
そうっとそれを押して進む速度は、あなたを撫ぜる。

僕は自分のみたい夢を見る時に、
目をつむってブランコを大きく漕ぐわけだけれども、
田口アヤコは、
僕の瞼のうらのそのブランコにすでに腰掛けていて、
僕を見ながら、にやにや笑っている、
そして無言でなにか、白い箱を置いて逃げ去る。
僕はその箱を開けないが、
それが●●●●であることは分かるのだ。
(甲斐 博和/toca* 劇作家・演出家・俳優)


COLLOLは己の信じる道を軽やかに突き進む。
最近は名作戯曲との戦いに挑んでいるらしい。
これはなかなかに厳しい道を選んだんじゃないだろうか。
だって、すでに名作と言わしめる上演があった戯曲だ。
それを凌ぐ瞬間がなければ誰も褒めてくれない。
でもCOLLOLはきっとそんなことを気にしていない。
戦いであることを忘れ、ふわっと包みこまれるような勝利の瞬間を見届けたい。
あとワッフルケーキが好きです。
(かあきじいんず/Rel-ay 作家・演出家)


COLLOLはジャケ買いのように偶然観に行った劇団のひとつで、最初に見たのは、確か「性能のよい?シェイクスピア作『オセロー』より」だったと思う。
その劇中、割と冒頭のシーン転換の暗がりのなか、取り立ててその作品のあらすじとも、シェイクスピアの『オセロー』とも関わりなく、ただヴェネツィアという都市の歴史を説明する"語り"が語られたのだが、その"語り"の語り口、というか声そのもの−劇場の片隅でピアノに向い、観客に背を向けてピアノを演奏しながら、決して美声とはいえず、歌とも叫びともつかない、しかしからだの底からこちらの身の芯に届くような、妙に魅力的な声−を発していたのが、他でもない女優・田口アヤコだった。瞬間、総身がぞっとした。
−以来、時に期待を裏切られつつもあれ以来、幾度となくCOLLOLの公演に足を運んでいるのは、けっきょくあのとき、あの瞬間に感じたものの正体を確かめたいからに他ならない。
どうか、あの快楽をもう一度味あわせてほしい。
(矢野 靖人/shelf 演出家)


COLLOLは何がしたいんだろうな(笑)
調べてみると「現代演劇の王道かつ最前線をめざします」とある。
思えば、公演タイトルと企画、向かう志みたいなものはいつもいいんだけどな・・・よくわからん。
出来てないよ。とささやきたくなるのがCOLLOLに長らく持っていた印象。
ようやくカタチになってきたかなと思った頃ですよ。
野田秀樹氏がわざわざ渡英前の間隙を縫ってゲネプロ観に来たり、
観たことあるなという出演者が芥川賞を受賞したりと・・・
侮れない人達です。
はい。
(横山 仁一/東京オレンジ 演出家)


今まで観た公演を振り返り、田口アヤコが具現化したいものを、田口ひとりで取り組むのには限界がある、と私はぼんやり考えていた。ところがこの度、音響・演出の江村桂吾を初めとする5人の正規メンバーが加わり、COLLOLに大変革が齎されようとしている。ストレートに言えば、「田口×江村」のぶつかり合いから迸るものがCOLLOLの持ち味で、江村はCOLLOLの一員になることで、腹を括った。
途轍もなく面白いものを観てしまいそうで、恐ろしい。
(藤田 敏正/FOU production)


なんだかんだコロールとは二回一緒にやっている。
一回目はワークショップに出ませんかということでいたつもりが、いつの間にかリーディング公演に出ることになっていて、「すごいものを目指しましょう」とハッパをかけられた。
田口さんも江村君もそうなのだが、「見たことのないすごいこと」とか「演劇の可能性」とか「いかがわしくも高貴に」とか「繊細かつ大胆に」とか「聖であり俗に」とか「コクがあるのに切れがある」とか「先生でありながら愛人」とか「ロックンロールなのに演歌」とかそういう言い方が大好きだ。
きっと演劇とか表現に対してすごくロマンチックなんだと思う。
夢があるんだろうな。同じことだけど。
ある意味頭でっかちで、永遠の学生さんみたいな探究心があって、現実的なことにぶつかると少しうろたえちゃったりもして、一緒に現場に居ると「現実的に考えたらそれは足りないよ」とか「もっと具体的に考えないと」とかオジサンみたいなお説教をしたくなるんだけど、 だからって、ただ現実的なだけの人って別に全然面白くないなと思うし、わざわざ何かを目指さないと何も形にならないわけだし、彼等の頭でっかちさはよく文脈の後ろに書いたりする(苦笑)って感じで、嫌いじゃないんですよね。
それに選んでくる題材が面白いってとこもあります、「蒲田行進曲」とか高橋源一郎とか。
多分色々個人的な夢とか理想が頭の中にたくさんあるからだと思う。 そうなんです。
彼らインテリは(笑)飲んだり話したりすると 我々労働者がちょっと引くくらい熱かったりするんです。
江村君なんかどうにも熱くて、あまりの熱さに本人の顔色が悪くなってしまうほどです。
大体そういう時は隙を見てうちに帰ったりするんですが、時にはその、頭でっかちに付き合ってみるかと思わせるので、本当に不思議なものです(苦笑)
(清水 宏/俳優)


COLLOLは私にとって姉のような感じがあって、肉親との距離を量りかねるような、もぞもぞするような、盆と暮れには必ず会うような、そういう感じがする団体です。
オトナがよってたかって情念と知性と愛を積み重ねるパフォーマンスが見られる、ハンサムな団体です。
(笠木 真人/うさぎ事務所)


田口アヤコの紡ぎ出す世界は、例えば牡蛎の貝殻の内側の乳白色の部分が、光をあてると七色に光る。
そんなイメージがする。それは、多方向からくる強い射す様な照明のせいなのか、幾重にも重なる、音響のクロスのせいなのか、反復に反復を重ねる台詞のせいなのか、よく分からない。たくさんの色が混在し、舞台は常に歪みつつ光り輝いている。
それはとても美しく、しかもなぜか毒々しく思え、絶えず私を魅きつけている。
(垣内 友香里/Benny Moss 振付家・ダンサー)





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